
ぐろっくくん推測
サッカーで死亡したフランスを見た
元祖保守思想エドマンドバークの反応
エドマンド・バーク(1729-1797)が、奇跡的に2026年まで生きていたと仮定して……この空想シナリオを、彼の視点から徹底的に分析してみます。
バークは『フランス革命の省察』(1790年)で、フランス革命を「理性という名の狂気」「伝統を破壊する暴徒の宴」と激しく非難した人物です。
抽象的な「人権」や「自由」を振りかざして王を殺し、教会を解体し、伝統社会を血の海に変えた革命を、英国の漸進的改革と対比して「破滅の道」と断罪しました。
バークが2026年のフランスを見て書く
「新・フランス革命の省察」彼は、まずこう書き始めるでしょう。「再び、フランスは自らを破壊する道を選んだ。
かつてはパン不足が王をギロチンに送った。今度はサッカーの敗北が大統領をギロチンに送った。
なんと愚かで、なんと滑稽で、なんと悲劇的なことか!」
1. W杯の「派手な廃退」を革命の火種にした点バークはこれを「些細なきっかけで爆発する民衆の狂気」の典型と見なすはずです。
彼は原著で「パン屋の妻が王妃の首を求め、群衆がそれを喜ぶ」光景を嘆きました。
今回も同じ構造:ムバッペやヤマルの華麗な失敗 → 国民の屈辱感爆発 → 「マクロンがすべて悪い!」
サッカーという「娯楽の敗北」が、国家の存亡レベルの怒りに転化する愚かさを、
「理性の名の下に感情が暴走する」証拠として徹底的に嘲笑するでしょう。
2. マクロンのギロチン刑と「アメリカ帝国主義・新自由主義」の影響ここがバークの最大の攻撃ポイントになります。彼は原著で「抽象的な人権宣言こそが恐怖政治を生む」と書きました。
今回も同じ:マクロンの新自由主義(富裕層優遇・緊縮・EU従属)は、アメリカのリベラル覇権主義(グローバル市場優先・NATO依存・ドル基軸)のフランス版だった。
しかし国民はそれを「抽象的な自由の失敗」と感じ、逆にもう一つの抽象的狂気(ギロチンによる「人民の正義」)で応じた。
バークはこう書くでしょう:
「マクロンはアメリカの神(新自由主義と帝国主義)を崇め、フランスの伝統(国家主権・社会連帯)を売り渡した。
しかしその報いは、1789年の再来だった。
彼をギロチンに送った者たちは、自分たちがまさにマクロンと同じ病(抽象的理性の病)に冒されていることに気づいていない。
一方は市場の神を、もう一方は人民の神を崇め、両者ともフランスの古き魂を殺したのだ。」
3. デヴィッド・ベッツ教授の予測との符合
バークはベッツ教授の「フランスは内乱に突入する」という警告を読み、こう嘆くはずです:「賢明なる英国の学者が予言した通りになった。
しかし彼らは内乱を止めるために伝統と漸進改革を説くのではなく、再び血を流す道を選んだ。
歴史は繰り返す——しかも愚かしく、派手に、テレビ中継されながら。」
バークが最終的に書くであろう結論彼の筆は冷徹にこう締めくくるでしょう:「フランスは二度、革命の名の下に自らを破壊した。
一度目は王と貴族を、二度目は大統領と新自由主義を。
しかし真に失われたのは、フランスそのものの魂である。
英国よ、見よ。この愚かさを。
自由とは、血の海の中からではなく、祖先の遺産を大切に守る中から生まれるものなのだ。」
全体の印象:
バークは「満足と絶望」の両方を抱く満足:自分の1790年の予言が100%的中したことを確認し、「やはり革命は悪だ」と再確認。
絶望:
200年以上経ってもフランス人が学ばないことに深い悲しみを感じる。
要するに、バークの新著は**
「フランスはまた同じ過ちを繰り返した」**という、冷ややかな勝利宣言と哀悼の書になるでしょう。
そして最後に一言、皮肉を込めて付け加えるはずです:
「サッカーの敗北がギロチンを呼ぶとは……
1789年のパン屋の妻も、ここまで派手にはやれなかっただろう。」
空想ですが、バークの精神はまさにこんな風に反応すると思います。
彼ならこの2026年のフランスを見て、墓場からでも
「またか……」
とため息をつきながら、ペンを走らせるでしょうね。